熊本県工芸リンク

郷土玩具バーチャルミュージアム‥熊本県篇(1) お化けの金太、肥後こま、人吉の花手籠、人吉の羽子板、青井阿蘇神社の獅子頭(守護獅子)、谷尾崎のきじ馬と祝い臼、手取菅原神社の「うそ」
郷土玩具バーチャルミュージアム‥熊本県篇(2)-1 宇土張り子、五人姉様、
郷土玩具バーチャルミュージアム‥熊本県篇(2)-2 天草の諸玩具、天草人形、一間羽子板
郷土玩具バーチャルミュージアム‥熊本県篇(3) 日奈久・桐製の玩具、板角力(いたすもう)、べんた人形、きじ馬
郷土玩具バーチャルミュージアム‥熊本県篇(4) 人吉の諸玩具(きじ馬、うずら車、花手箱)
郷土玩具バーチャルミュージアム‥熊本県篇(5) ウンスンかるた、大畑(おこば)の諸玩具
郷土玩具バーチャルミュージアム‥熊本県篇(6)-1 九州の「きじ馬」「きじ車」、湯前のきじ馬、多良木のきじ馬、荒尾のきじ馬
郷土玩具バーチャルミュージアム‥熊本県篇(6)-2 山鹿灯籠、とうきび人形、木の葉猿
熊本来民うちわ 熊本県の県北、山鹿市と菊池市のほぼ中間にある熊本町来民(くみん)で作られ、丸亀や京都と共に団扇の三大産地であった。
熊本内田皿山焼;(焼き物・陶磁器・ 陶芸・窯元) うちださらやまやき。天草陶石の発見に伴って、17世紀に興った窯で古窯の発掘調査からも裏付けられている。内田皿山焼近くの下皿山の丘陵地には、300年前の古内田皿山焼の窯跡があり、今でも無数の磁器片が見つかり、熊本県最古の磁器窯があったことで知られている。
熊本小代焼;(焼き物・陶磁器・陶芸 ・窯元) しょだいやき。寛永9年(1631年)、丹波国の陶工源七(牝小路家)が、細川家の肥後転封によって、小代山北麓の竜ノ原に開窯した。ほかに豊前国の葛城安左衛門も焼物師として召された。天保7年(1836)、当時の山役人であった瀬上林左衛門によって瀬上窯が興された。小岱焼は以後、この3家が窯を守った。松風焼、五徳焼、牝小路焼、竜ノ原焼とも呼ばれた。
熊本高浜焼;(焼き物・陶磁器・陶芸 ・窯元) たかはまやき。宝暦12年(1762)、高浜の庄屋上田家6代目の上田伝五右衛門が、肥前の陶工山道喜左衛門を招いて高浜皿山に築窯したのが始まり。輸出用に磁器を焼いた。
熊本高田焼;(焼き物・陶磁器・陶芸 ・窯元) こうだやき。豊前国の上野焼に従事していた尊楷(上野喜蔵)が、細川藩の肥後転封に伴って、長男・次男と共に八代郡高田郷奈良木村(八代市奈良木町)に窯を開いた。万治元年(1656)、息子の忠兵衛(木戸家)と特兵衛(中家)が平山新町に移った。その後、徳兵衛の2男太郎助が正徳元年(1714)に分家して、奥家となった。藩の御用窯として代々、茶器を中心に焼いていた。
熊本水の平焼;(焼き物・陶磁器・陶 芸・焼き物) みずのだいらやき。明和2年(1765)、岡部常兵衛が、山仁田焼を買い取って、水の平に窯を築いたのが始まり。地名をとって「水の平焼」と命名された。
熊本丸尾焼;(焼き物・陶磁器・陶芸 ・窯元) まるおやき。弘化2年(1845年)に開窯された。明治から大正期にかけては土管や瓶などの荒物を中心に焼いていた。3代目の金沢武雄氏は商工省の技師として全国の窯をまわって、陶芸の技法や柚薬の研究をし、日用食器を焼くようになった。
熊本一勝地焼;(焼き物・陶磁器・陶 芸・窯元) いっしょうちやき。明和9年(1772)、相良藩士であった右田伝八は江戸勤務の間に楽焼の手法を学び、人吉の城元に窯を築き、城元焼と称した。安永3年(1774)、薩摩焼の竜門司焼の陶工川原ほう工を招いて、技術を確立した。安永5年(1776)、右田伝八は一勝地で良質の陶土を発見し、この地で一勝地焼を興した。
熊本網田焼;(焼き物・陶磁器・陶芸 ・窯元) おうだやき。網田焼は、細川藩の御用窯として、肥後唯一の白磁の窯元として知られていた。 現在の網田焼は、昭和56年(1981年)、前田和氏によって復元された。
熊本木葉猿窯元 1300余年前から玉東町に伝わるとされる郷土玩具です。悪病、災難よけ、夫婦和合、子孫繁栄の守り神とされ、素焼きの素朴さとそのとぼけた容姿は珍重され、広く愛されています。
日吉町 の企業-日置瓦工業共同組合 日置瓦工業協同組合
肥後三郎 『肥後三郎』は、弓師松永重児氏の弓銘です。松永重児氏は、冴え・引き味・軽さを考えて造られた京弓と夏でも使える薩摩弓を合作させて良い弓を造ることに一生を捧げられた、昭和の名人です。